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おばあちゃんの車生活の終了。お疲れ様、ありがとう。《前編》

パーキンソン病で首が下がってきたこともあり(本人の意識の問題もあるとは思いますが)、おばあちゃんの車を処分しました。
 
車を処分しただけで、まだ免許返納には至っていないのですが、もうおばあちゃんが車を運転することはないでしょう。
 
首下がり問題で前を見づらいので家の壁に頭をぶつけたり、お店の自動ドアが開ききる前に突っ込んでいって体をぶつけたりしています。
 
そんな状況ですから、車の運転をやめてもらえて本当に良かったというのが本音です。
 
 
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おばあちゃんが免許を取得したのは30代になってからだそうです。
 
おじいちゃんに、これからの時代は車が運転できたほうがいい!と言われ、頑張って取りに行ったとよく話しています。
 
お陰でわたしも保育園の送り迎えをしてもらっていたし、おばあちゃんもお友達を連れて遊びに行ったりしていました。
 
おばあちゃんの運転は赤信号の信号が見えているのに加速してギュンッと停まるというスタイルだったので、ちょっとスリルのあるものでした。
 
そのスタイルは、わたしたち家族に何度注意されても直りませんでしたが(*_*;
 
 
 
 
田舎のおばあちゃんたちの情報源は、主に新聞かテレビです。
 
特にテレビでは何度も同じニュースが報道されるので、高齢者の運転に関するニュースは嫌でも脳裏に焼き付くのでしょう。
 
おばあちゃんの運転で外へ連れ出してもらっていたという友人自ら「車の運転をやめたら?」ということをおばあちゃんに直接言ってくれたことがあったようです。
 
でも、そのときのおばあちゃんは聞き入れられなかった。
 
なぜなら、病気の影響で下がった首が痛くて2日~3日に1度のペースで痛み止めの注射を打ちに自分の運転で病院に通っていたから。
 
 
 

 

 
 
ある日、その友人がわたしの母に電話をくれて、おばあちゃんに運転をやめるよう伝えてほしいと言われました。
 
わたしたちも思っていたことではありましたが、実際に行動を起こせたのは、長年親しくしてもらっているこの方の言葉があったからです。
 
おばあちゃんのことを想って「テレビのニュースで伝えられているような高齢者の自動車運転の加害者になってほしくないから、どうかお願い・・・」と。
 
 
 
 
 
母とわたしの話し合いのときに母が懸念していたのは、おばあちゃんの首の痛みと、そのための注射のことでした。
 
注射が打てなくなるととツラいのではないか、おばあちゃん自らの運転がなくなれば母が仕事の合間を縫って2日に1度くらいのペースで病院に連れて行かなければならないのではないか、ということです。
 
わたしは、このとき初めて痛み止めの注射の頻度のことを聞きました。
 
とりあえず母の話を一通り聞いていましたが、わたしの性格の悪さが出てしまって「本当に痛み止めをしなければいけないほど痛いの?」と言ってしまいました。
 
「中毒になってるんじゃないの?」と。母に言っても仕方ないんですけどね。
 
 
 
 
母は一瞬、言葉を失っていました。
 
わたしはクリニックに勤めているという仕事柄、ドクターが患者さんに話す内容をしっかり聞かなければいけません。
 
ときどき、ドクターの意見より自分の思い込みを優先してしまう患者さんがいるのです。
 
患者さんが勝手によく効くと思い込んでいる薬を処方してほしいと。
 
ドクターが、いくら丁寧に説明しても聞き入れてもらえない場合はドクターから「中毒だよ」という言葉が出ることがあります。
 
薬は、用法用量を守ってこそ効くもの。本来であれば思い込みだけで飲んでいい薬なんてないはずです。
 
わたしは、そういう無駄な知恵があったのと性格の悪さも相まっておばあちゃんの状況を「中毒」という言葉で表現しました。
 
 
 
つづく。